鉄筋工職人のアキラ君

 休日の夕暮れ時に銭湯に行くのは俺のささやかな楽しみだ。
銭湯は空いていた。 俺をふくめ四人ばかりしかいない。 中のひとりの若者が見事な彫り物を背中いっぱいに背負っていた。 なるべく近寄らないように、離れた洗い場に腰をおろした。 心は「あやうきに近寄らず」なのである。

 なのに、気がかりで俺はその若者の背中をゆっくり眺めた。 そして俺はその若者を知っていた。 ニッカ・ポッカで身を包み、浅く日焼けしたたくましい職人のアキラ君だった。

 「おい、そこの若者! 額に汗水ながして今日も一日よくはたらいたなあ」
と語りかけたことも何回かあった。
背中に背負ったすご味に圧倒されたと同時に、アキラ君の過ぎ去りし青春のドラマの何たるかを知ってしまった。 俺は浴槽から上がり、アキラ君の後ろに近づき、力いっぱいの自然体を全身にみなぎらせて、小さい声で
 「ずいぶん、すげぇものを背負ってるじゃねぇか」と言って、軽く肩をたたいた。
アキラ君は「イャー」と言って、極まり悪そうにニンマリした。

 風呂を出て、俺達は風呂屋の向い側にある「ナベちゃん」という小さな、汚い焼鳥屋でビールを飲んだ。 俺達は、今日この頃のこと、仕事のこと、女のことなど色々語り飲んだ。 だけれど、背中の彫り物については、一語もふれなかった。

 アキラ君は専門性の高い鉄筋工という技を身につけた。 安い賃金と厳しいイジメの見習い期を経過したればこそなのだ。
 「アイツ等は甘いんだよ。」
 「ワザを身につけてねぇからだよ」
 「寮があって、金もよくて、俺だった迷ったよ。」
 「だけど、一日中、ネジだけまわしてるような仕事じゃしょうがねぇからやめた。」
 「だから、親方のところへ住み込みで行ったんだ。」

 アキラ君には明確な戦略があったのだ。 テレビのニュースを見ながら、思いっきり不似合いな正論を吐き捨てた。

 非正規労働者が街を徘徊し、公園をねぐらとして占拠している光景に目を凝らしてジィーと見ている。 アキラ君にとってそれは、すさまじく身近な問題だった。 親方に拾われなかったら、という想いがアキラ君の心を覆った。

 規制緩和、構造改革、経済のグローバル化、そして何でもかんでも改革、改革と叫んだ騒ぎの帰結が今日この頃の世の中であり、人心のすさんだ暮らしなのか。

 この地、婆娑羅のある三鷹は横河電機という大企業の城下町である。 当然、この地域の経済に多大な影響を与えている。 その横河電機からも当然のように派遣社員の契約解除や社員の一時帰休の話が聞こえてくる。
 横河の会社の人がめっきり少なくなったけれど、アキラ君は現場帰りに仕事着のまま来て、ひとりうまそうに酒をグイグイやっている。

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