ブエナ・ビスタとチャンチキおけさ

 去年の暮れに「ブエナ・ビスタ・ソシアルクラブ」のニューヨーク カーネギー・ホールにおけるコンサートのライブCD二枚組が発売された。
 もう10年も前のことだがブエナ・ビスタの映画も観た。 東京フォーラムでのライブも観に行った。 左様、本当に大好きなキューバ音楽の偉大なる楽団である。 楽団の主要メンバーのほとんどは、来日した頃ですでに80才を超えていたのだから、もうこの世にはいない。 それ故に、このブエナ・ビスタのカーネギー・ホールのライブのアルバムは欲しかった。
 差し障りのない音量で、感づかれないように店の閉店の頃に流れるように設定した。 たいがいの客は流れている音楽など全く頓着していない。
 ここしばらくは婆娑羅における看板の曲にした。

 看板の時間など「知ったこっちゃねぇ」と勢いづいて快活に飲んで喋っている若い3人の女があった。
 職場では男なんぞ、投げ倒してバリバリ仕事を片付けていそうな女達だった。 こういう軽快なフットワークの女達をながめるのは実に楽しい。 年を忘れて一緒に酒を酌み交わしたくなる。
 夜ふけて、客は一組、二組、三組と帰って行く。 3人の女達はご機嫌だぜ、とばかりに意気を振りまいている。 店の中は若い女のにぎやかな言葉ばかりがこだまして、わずかに看板の曲が流れ出したな、と思っただけだ。
 と、その瞬間、3人の女の一人が「ブエナ・ビスタだ!」と叫んで立ち上がった。 どうして、こんな若い女が知っているのだろうと不思議ではあったが、「これってマスターの趣味ですか?」問い詰めてきた。

 俺はドギマギしながら、自分を悟られないように、「これはお客さんが置いていったCDで、仕方なくかけているの。俺はこんな不良の聞くような音楽は嫌いです」と言い切った。
「じゃあ、どんな音楽が好きなんですか?」間髪おかずに来た。 即答できる訳ねぇだろ。 あれも、これもだ。 どんな女が好きか、どんな喰い物が好きか、はたまた、どんな生き方が好きかの問いに等しい。 だが、その問いに対して俺の口を突いたのは「三波春夫のチャンチキおけさ」だった。

 「なに、それぇ。知らない。」
 「でも、よかった。マスターがブエナ・ビスタ好きだったら嫌だなぁ」
 「このCD持ってきたお客さんて生意気でしょ」
 「この音楽はすごくいいんだけど、こういうの好きな男って大嫌い。」
 「我が儘で、身勝手で、自分のことしか考えない、サイテェな奴」
 「それでもって自分にすごうく自信持ってるの」
 「ああ、腹立つ」

 一気呵成に言い放つと、急に泣きそうな顔になり、俺は返す言葉をのんだ。 ブエナ・ビスタは別れた恋人の置きみやげだった。 人は誰にでも苦い思い出がはり付いた音楽を持っている。 だから、チャンチキおけさなのである。

 「月がわびしい 路地裏の
  屋台の酒の ほろにがさ
  知らぬ同士が 小皿叩いて
  チャンチキおけさ
  おけさせつなや やるせなや」


 キューバの片田舎で、小皿叩いて歌い継がれた音楽は、長い年月を経てブエナ・ビスタの音楽に結集された。 はじまりは、きっと素朴なチャンチキおけさだったのである。

 それにしても女が吠えまくった男、女の前から去っていった男、そしてブエナ・ビスタの一枚を置いていった男、誰かに似てねぇかと辺りにいる男達に目をやったら、あざ笑うかのような冷たい視線が返ってきた。


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