バサラ 翁の集会

 今日は何んの日? 翁の日、はてな?そんなとく別な祭日あったかなあ。 だって、いつもは来ることのない遠方の人、名前も忘れてしまった20年、30年も会っていなかった人、顔を見ただけでは全く思い出さない人が来店した。 見ただけで思い出さないというのは少しばかり脳の内部がなまけるようになってしまったらしいからだ。 個人名をなかなか思い出せないから、思い出すのに時間がかかり過ぎて会話が停止してしまう。 思い出したころには話しがちがう方向に進んでしまって、とんちんかん話でケリもオチもつかない。

 そこに20年ぶりに東京にもどって来たというKさんは沖縄からだ。 なんとなく見覚えがあるなあ。 前置きアイサツぬきで、思いついた話しを矢継ぎばやに、誰れも聞いてないことなど全く臆することなく、ていねいな口調で、一字一句まちがえることなく語っている。
 そうだ、この方は大学で学生に講義していたくらいだから弁が達者だ。 少しのおとろえは愛嬌だ。 人が聴いていようとも無視していようとも、その方向はまっ直ぐだ。 うれしい程にKさんそのものだ。 ほっておいたらいつやむかも知れぬほどにうれしそうである。
 何やらの家庭内事情のためにもどられたそうだけれど。 それはすべての人間がいだく平等な問題だから仕方ない。 又、しばらくは東京暮しになるのだろう。 再びの余生がいかなるもの、幸、多かれ。

 「よお! お元気そう。 ノブちゃん!」 俺をノブちゃんと呼ぶのは旧石器時代の貧しく、よるべなき若者のオチャラケた呼名である。
 「いま今日(こんにち)の僕はオオサワさんとたいがいの人は呼んでくれる。」 であるから、この方は大昔の知り合いだ。 だから石を投げたり、棒をふりまわしたりの珍プレーだってやったさ、である。 50年も昔の話を今は語らない。 だけど、その時代の光景はさけてとおれぬである。 精神がストーンズやビートルズに乗っかってしまった。 サンジェルマンであばれていたゴダールに血わき肉躍る時代を生きていた若僧だ。

 70代になっても、何にやらあやしい眼つきの男ぷりだな。 そうさ一人の人間、そんなにヒョウヘンするわけない。 何十年ぶりに肩を抱き合って たよりない未来の幸運をいのった。 「まだいけてるぜぇ」 ゲバルトでつちかった、ムボウな血と汗と涙。 いま老いても何にやらあやしい眼のかがやき。 足腰が齢のわりにはビンショウなのはどういうワケなのか。 今夜の酒は3合ぐらいがいいところだ。 それ以上は駅の階段がキケンだゾ、ということで今夜のオキナ達の集会はこの位いにしておこう。 いや、又ひとり現れた。

 バサラの焼酎をこよなく、いとおしく、お湯割りにして飲む。 その飲みぷり さらさらと清流のように力味なくのみつづける。 いつまでたっても酔ったふうがわからない。 テンションも変らない。 「ごめん、ナオちゃん もう1杯だけつけて!」 この、ゴメンという符牒が言葉の頭に付いた頃に画伯は実に良いお人柄の芸術家になられるのだ。 芸術家という方々が時おりお酒につまずいて品位をおとしてしまうのとは違う。 「ごめん、もう一杯だけ!」 これだけでこと足りて、もう一杯もそのへんで終了なのです。

 そんな画伯の作品が先日、岡本太郎美術館に堂々と展示された。

 花見気分も手伝って館内はいっぱいの人でした。 作品は、巨大な四角いジャングルジムをしつらえ、ジャングルの内側、外側に画伯が内面によりどころとする魂の糧となる想いや人間のコラージュを いくつもはめ込むという方法でありました。
 画伯と我等はジャングルジムを通して渡り合い心をつなぐという巨大な作品なのです。 そこに渋い面がまえのボブ・ディランが風に吹かれ唄っているのです。 うれしくなるメッセージです。 もし、この方の作品をおのぞみの方、バサラの守護神としてチンザしています。 どうぞ、ごらん下さいませ。 作品と同時に本人様にソウグウされることも間々ありますが幸運ということです。

 どうき、いきぎれ、めまい などの色々なシグナルをかかえて、いよいよ過酷な真夏です。 さて、どうなるか。 御用心のほど

                      2024.4.21
                       大澤 伸雄

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